P-ochimochi’s blog

家族と癌と私の記録

遠い日の記憶

幼い日の記憶

それは歳を取るにつれ遠い日に見た夢との区別が着かなくなってくる。

現実だと確信していた嫌な記憶

歳を取り、回りの人間の記憶の曖昧さや自分の思い違いに気づく事が増えてくる。

何時からか自分の記憶に自信がなくなり、いっそのこと嫌な記憶は夢だったと思ってしまえば良いのではないかと思うようになった。


私は幼い日に布団にグルグル巻きにされ、その上に誰かが股がり

「あんたさえ居なければ!」

と、強い口調で言われた記憶があった。

姉?だと思っていた。

姉は5歳歳上なので可能性はある。

しかし、もっと大人のような気もする。


そんなこと、もうどうでも良くなった。

今さら?

そう、今さら

子供の頃から「過去なんてどうでも良い」と思えていたら
(反省は必要だけどね)



そして

今さら

母の口から「○○(兄)は可愛そうにお父ちゃんに布団にグルグル巻きにされて、出ようともがいたら肩が外れて、夜だったけどお母ちゃん下駄履いておぶって病院に連れていったんだよ」

!!!!!

肩外れて病院行ったの私です。
下駄履いておぶっていたから、振動で病院着いた時には肩がはまっていて、一様三角巾で腕を吊っていたから、嬉しくて友達に見せびらかした記憶がハッキリのこってる。

それを母に言うと

「あぁ~子供のころは外れやすかったんだろうねぇ~」と


そうかぁ~

私を布団でグルグル巻きにしたのは母だったのかも知れない

まぁ、ほんと、どうでも良いけどね😅

人の記憶なんて言うものは、その人に都合良く書き換えられたりするものだ。


なのに

今朝も私を苦しめる

私さえ居なければ

私さえ産まれて来なければ

涙か止まらなくなった











今日もあなたは幸せでありますように🍀